2011-04-08

ある人にとって

ある人にとって

弔うとは
その人を想いながら
ハーモニカを吹くことであり

ある人にとっては
ただひたすら
祈ることであり

ある人にとっては
歌うことであり

語ることであり

踊ることであり

そして
ある子供にとっては
一輪のタンポポを
見つけることである

ような気がする。

2011-04-06

セファルディ 魂の紡ぐ歌













セファルディってご存知ですか? かつて15世紀頃に南欧に定住したユダヤ人のことらしく(つまり僕も最近知りました)、彼らが作った音楽の代名詞としても使われているようですが、その音楽に僕もひょんな形で出会いました。

今から約半年前。劇場で芝居の稽古をしているときに、「面白い人が来てるから」と劇場プロデューサーに声をかけられ事務所に上がると紹介されたのが、岡庭矢宵さん。
会った瞬間、「フリダ・カルロだ!」(←メキシコの画家です)と思わず声を上げて言ってしまったのですが、フリダにそっくりでビックリ。




















話を聞いてみると「ユダヤの移民の歌を歌ってます」と。
やはり!存在もさることながらやっていることもディープだなと感嘆、納得。

「聞いてみたいな」とボソっと俺が言うと、プロデューサーが「みんなでロビーに行きましょう」と。
みんなって言ってもそこにいたのは俺と矢宵さんも入れて5人。

ロビー到着。
彼女は歌い始めました。

その瞬間

全身に鳥肌が。大袈裟でなく比喩でもなく、ホントに全身に鳥肌が。

そして手足がしびれだし、目頭が熱くなり。

もちろん聞いたことのない初めての音楽なのだけれど、妙に懐かしくて、親密で、広大で。

「魂が揺さぶられる」とはこういうことを言うのだな、と。

声高に言います。
聴かないと損です。

下記詳細:

「空と砂の間へ」
−セファルディ・ユダヤ 魂の紡ぐ歌−
歌、アラブの琴、即興パフォーマンスで綴る、離散ユダヤ500年の旅


〜行くあてのないひとたちへ〜
たとえ そこから追い出されても
あなたの体がある限り
あなたの場所はきっと見つかる
遠い昔 歌を携え 世界中に散らばっていった人たちのように
果てしない離散から呼び覚まされるのは 魂の共振
セファルディ・ユダヤ この歌は
今を生きるあなたの心にも
きっと何かを届けることでしょう

2011年4月9日(土) 18:30 開場 / 19:00 開演

出演:歌/岡庭矢宵、カヌーン/海沼正利、踊り/香瑠鼓

劇場:シアターX 東京・両国

チケット料金:3,500円 全席自由

お問合せ/チケットお申し込み:ベラ・グラナーダ TEL : 090 7942 9264
E-mail : okaboo@etude.ocn.ne.jp



2011-04-04

HOUSE



















銀座シネパトスにて観てきました、大林宣彦監督、1977年の初劇場用映画作品「HOUSE」。
音も映像も美術もかなりぶっ飛んでます。そして家が女の子たちを・・・というストーリーも。

シューレアリズムとはよく言ったものですが、シュールとはまさにこういう映画のことを言うのでしょう。現実も空想も超えちゃってます。
僕の感覚にはドンピシャでした。是非スクリーンで観てほしい。

4月5日まで銀座シネパトスにてレイトショー上映中。

so much to learn so little we know

知らないことが多すぎる。

知ろうとして来なかったことが多すぎる。
知っているつもりでいたことが多すぎる。

ないがしろにしてきたり
無関心だったり
誰かに任せたり
自分も当事者の一人であることに向き合わずにしてきたり。

知ったかぶりもした。
あげ足もとってきた。
挙句の果てに
自虐を演じたこともあった。

無関心とはおさらば。
無責任ともおさらばしたい。
なかなかできないけど。

夢や希望を語るのはちょっと恥ずかしい。
中学生のときに語ったようにはなかなかできない。
でも悲しい思いや、いやな思いをするよりも
恥ずかしいことをする方がいいのかもしれない。

恥は旅の掻き捨て。
したがって僕は旅の途中。