2012-10-04

「あやなす」終演


ようやく「あやなす」終演の報告が出来ます。
観に来てくださった方も、来ようとしてくださって来れなかった方も、とにもかくにもありがとうございました。


ひとつの舞台作品を演出しました。
台本も何もないところから、俳優やスタッフと一緒に作り上げた作品。
試行錯誤しながら、どうやって「ことば」を発することなく「ことば」にならない「ことば」を探すことができるか、そんな創造作業でした。


明確な物語も敢えて持たず、家族について作ったシーンを自分たちなりに繋ぎ合わせて、観客の想像に委ねました。
「無茶振りやんけ」と思った観客もいたと思います。いや、いました。
でも敢えて「十人十色」の解釈に委ねました。


正直、怖かったところもあります。
言いたいことが伝わるかな、ではなく、何か伝わるかなと。


勿論、伝えたいことはありました。でもそれが伝わったかよりも、「何か」が伝わればいいなと思いながら幕を開け、賛否両論様々でしたが、「そんな風に感じてもらえたんだ」という多くの意見を頂きました。


今回は劇団銅鑼の40周年公演の一環でした。
40年前、劇団民藝から離れた有志の方々で作った劇団。
その中のひとりに、鈴木瑞穂氏がいます。日本の新劇を形成したその第一人者のお一人。つまりは我々演劇人の大先輩です。
彼は80歳を過ぎた今も現役で活躍されておりますが、その彼からお手紙を頂きました。
ご本人の承諾を得て、この場でその一部を紹介させて頂きます。

『「人間とは…」という演劇の不変の追求を強く感じ、想像力をかき立てられました。…激しく動くイマジネーションを肉体で表現すること。その面白さです。木下順二さんが言はれた「劇的とは」の中に馬術の話が出て来ます。全力で走り出そうとする馬を乗り手が軽く手綱で抑制している、そこに内的エネルギーのマグマと軽くさわやかな動きを感じ取る事が出来る、これが「劇的」だと…。その事を思い出しました。…最後に(これは演出の大谷さんとも話したのですが)チェーホフがチャイコフスキの音楽を「偉大なるアブストラクト」と語ったのを思い出し、今、チェーホフ短篇をチャイコフスキを聴きながら読んでいます。(一寸キザですが)「あやなす」の皆さん、本当にお疲れさま!! そして有難う!!』



アブストラクト。それは抽象的なことを意味しますが、その抽象から何かを想像してもらうチャレンジをしたかった僕として、この手紙はとてつもなく嬉しかった。「ことば」にならない「ことば」を想像してほしい、自分なりに感じてほしい。横柄かもしれないけど、そこに本気で取り組みたかった。



説明や指示に馴れてしまっている自分たちへのチャレンジ。
大袈裟かもしれませんが、最終的には「生きる力」って「想像力」だと思うんです。
だから敢えて。


今後もどうやったら「想像力」を煽ることができるか、模索します。


僕も鈴木氏を真似して、チャイコフスキを聴きながらチェーホフの短篇を読んでみました。チェーホフ、やりてぇなぁ。。。チャイコフスキ、マジかっこいいです。



最後に。
今日観客の一人を通して、マルセル・マルソーからの助言を頂きました。

「自分の芸術にとって大切なことは三つ。

重心
間合い
タイミング。

特に観客との間合い。」




more photos from the rehearsal:
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10151184126571600.481153.638846599&type=3